植物体内の水分移動と音響放射 (AE)
植物は日中,気孔を開いて蒸散を行うことによりアポプラスト(細胞壁および細胞間隙の全体)の水ポテンシャルを低下させます。そして,木部(道管)内部では水ポテンシャルの低下に伴った負圧が発生し,体内での水分移動の駆動力となります。維管束植物の場合,木部(道管)と呼ばれる死んだ細胞が連結してできた管を通って水分が根から葉などへ移動します。
日中に蒸散で木部中の負圧が増大すると,細胞壁から微細な気泡が木部内部に入り込み,キャビテーション(発泡)が生じます。このキャビテーションは工業分野での現象より非常に微弱ですが,突発的事象であることは同じで,その際に音響放射(アコースティック・エミッション,AE)と呼ばれる超音波を含む弾性波が発生します。
AEの発生は,茎内部の水を輸送する組織である木部の要素の一つに空気が入りこみ発泡(キャビテーション)したことを意味します。キャビテーションが生じた木部要素は空気で満たされるため水が通れなくなりますが,この状態をエンボリズム(塞栓症)と呼びます。
このとき,植物が健全な状態であればエンボリズムを修復することができます。具体的には木部要素に水を再充填することで空気を押し出します(リフィリング)。しかし押し出された空気は,木部要素の近くに残留するため再びキャビテーションを生じさせます。従って,何らかの原因でキャビテーションが生じやすい状態の場合,一つの木部要素でキャビテーションとリフィリングを活発に繰り返し,AEの発生数も増加します。
夜間などで水分移動が生じない場合,AE数は低下します。さらに,植物がストレスなどで健全性が低下した場合,植物はキャビテーションに対する耐性を失います。その結果,エンボリズムを修復できなくなり,AE発生数が低下します。いずれの場合でも,植物体内の水分移動の変動に応じて,AE数は増減するため,水分移動の指標として用いることができます。
ECSを用いた植物AE測定
従来,植物の茎でのAE測定は圧電センサを用いていました。しかし,圧電素子(セラミックス)は高価で重く,脆く衝撃に弱いため,実用性に問題があります。そこで,本研究室では低コスト,軽量で,フレキシブルで衝撃にも強い植物AEの測定に適したエレクトレット・コンデンサ・センサ(ECS)の開発を行い,下図のような防水性を有し,様々な茎に柔軟に密着可能なECSを製作しました。
さらに,ECSを用いた植物AE測定に適したデバイスの開発も行ってきました。下図に2つの形態の測定デバイスを示します。1つはPCオシロを用いた波形収録システムです。これは,植物AEの波形を全て記録することができ,試験研究用途に適しています。もう1つはIoTデバイスで,電源は必要ですが,茎にECSを取付るとデバイスから無線でAE発生時刻などの情報をクラウドに送ることで,簡便に植物AEデータの収集が可能です。
そして,IoTタイプのデバイスを用いて,下図のようなトマト,イチゴ,マンゴー,ジャガイモなど様々な作物の植物AEの計測に成功しており,これらのデータを蓄積して,農業関連企業と共同で新たな作物栽培技術の確立へ貢献しようと取り組んでいます。
水やりと植物AEの関係
植物体内で生じるAEを植物AEと呼ぶことにします。植物AEの発生頻度は植物とストレスの状態の影響を強く受けます。そこで,例えば,水やりのように明らかにストレス(この場合乾燥ストレス)が変動する場合についてAE数の変化を測定します。
下図は土耕ミニトマトにおいて,1日1回夕方に十分に水をやりつづけた場合と,1週間水を与えず乾燥した状態となった後に水やりを始めた場合で,水やり前後のAE発生数を比較したものです。
通常は,夕方の水やり後にAE数が低下します。これは,日中蒸散により大きな水分移動が生じた後,夕方で蒸散が停止するとともに水やりで体内の水分移動が不要となったためです。一方,乾燥した状態では,体内の水分が不足して蒸散が止まり,体内の水分移動が阻害されます。その後,水やりにより体内に水分を移動させるため,夕方であっても蒸散が生じて水分異動が促進されます。AEはこのような体内の水分移動の様子を把握することができます。これを利用すれば,必要最小限の水やりをすることで,高糖度のトマトを生産したり,水資源の節約に役立ちます。
本研究室では,このように水やり前後のAE数を比較するだけでなく,日照,温度などのさまざまな環境因子や手入れが大きく変動する際のAEの応答を調べることで,植物の生育状態を診断する手法の開発を行っています。
そして,トマト,イチゴ,ミカンなど様々な作物の植物AEの発生挙動の応答を調べることにより,体内の水分移動を可視化する仕組みの実用化に取り組んでいます。